◎交式斜乗捷法[1](菅野元健)

 

◎菅野元健序[2]

 

題交式斜乗捷法首

曩者健校觧伏題生尅篇交式斜乗法遂作其補遺反復精思而後成焉而其考復之間適悟有捷法矣凡設両式者換式益多則寄消愈衆而必有勞煩錯誤之患也而健幸得悟此理乃欲遂輯録之建其活法以便後學其草粗成而未果以日不暇給也今茲患瘧自七月以至于此頃疾少愈而未全復不能事事在家閑暇於是復舉宿草修飾以成一書命曰交式斜乗捷法其法文省而盡理事簡而易為求衆於寡制難於易而自無勞煩錯誤之患也蓋古人已有此法健嘗聞之師曰久氏學有分寄消之捷法夫久氏之睿明已知此理而制其法也又嘗見換四式之捷法不知何人制而其法與此全同蓋亦出于久氏也而久氏之書不傳其成法不可見也健之此舉将欲繼絶興廃使後學者無夫勞煩錯誤之患而速分衆位之寄消也非敢自矜其能衒其技以為先賢之上也觀者其察諸

寛政戊午九月戊子 菅野元健誌

 

【訓読】

交式斜乗捷法の首(こうべ、はじめ)に題す。

曩者(のうしゃ=先に。曩は先)、健(=菅野元健)、解伏題生尅篇交式斜乗法を校(かんがえ、ただし=校正、校訂)、遂にその補遺を作る。反復(はんぷく=繰り返し)精思(せいし=熟考)して後(のち)焉(これ)を成す[3]。而してその考復(=考え調べる。考覆)の間、適(たまたま)捷法(しょうほう=簡略な方法。捷は速)有るを悟りたり。凡(およ)そ両式(=二つの式)を設けるは、換式、益(ますます)多ければ則、寄消(きしょう=二式を打ち消すこと。和算用語)愈(いよいよ)衆(おお=多)くして、必ず労煩(ろうはん=わずらわしいこと。面倒)錯誤(さくご=誤り)の患(うれ)いあればなり。而して健(=菅野元健)、幸いに此の理を悟り得、乃(すなわち)遂にこれを輯録(=集録)し、その活法を建て、以って後学(=後輩)に便(たより)せんと欲す。その草(=草稿)粗(ほぼ)成るも、未(いま)だ果たさず。以って日[4]、暇給(かきゅう=ひま)せざれば也。今茲(こんじ=このたび)瘧(ぎゃく、おこり=マラリヤ)を七月より患(わずら)い、以ってこの頃、疾(しつ、やまい)少しく愈(いえ=癒)るに至るも、未だ全復(=完全回復)せず、家に在(あ)って閑暇(かんか=ひま)に事をこととする(=仕事に精を出す)ことあたわず[5]。ここにおいて復(また)宿草(しゅくそう=古い根から生えた草、一年たった草。ここでは元の草稿)を挙(あ=持ち上げる)げ、修飾し、以って一書を成す。命(=命名)じて曰く、交式斜乗捷法と。その法文(=条文)、省(しょう=省略)にして尽(じん=すべてをつくす)、理事(りじ=ものごとを治めること)、簡(かん=簡単)にして易(えき=やさしい)、寡(か=少ない)において衆(しゅう=多い)を求め、易(えき=やさしい)において難(なん=難しい)を制(=制定)するを為(な)して、自(おのづか)ら労煩(ろうはん=わずらわしいこと。面倒)錯誤(さくご=誤り)の患(うれ)い無し。蓋(なん)ぞ古人(=昔の人)、已(すで)にこの法を有(=所有)せん[6]。健(=菅野元健)嘗(かつ)てこれを聞く。師[7]の曰く、「久氏[8]の学(=学問)、寄消(きしょう==二式を打ち消すこと。和算用語)を分かつの捷法あり。夫(か)の久氏の睿明(えいめい=叡知、英知)、已(すで)にこの理を知りて、その法を制(=制定)するなり。又(また)嘗(かつ)て換四式(=四式を換える。和算用語)の捷法を見る。何人の制するやを知らず。而してその法とこれと全く同じなり。蓋(けだし=おそらく)亦(また)久氏に出(い)ずるなり。而して久氏の書、伝わらず。その成法(せいほう)見るべからざる(=見ることができない)也。」健(=菅野元健)のこの挙(きょ=行い)、将(まさ)に絶(ぜつ=絶えた世)を継ぎ、廃(はい=すたれたもの)を興(おこ)し[9]、後学の者をして夫(か)の労煩(ろうはん)錯誤(さくご)の患(うれ)いを無からしめ、而して速(すみ)やかに衆位[10](しゅうい=多数)の寄消(きしょう)を分かつことを欲せんとす。敢(あ)えてその能(=技能、能力)を自矜(じきょう=自分の長所や手柄を誇る)し、その技を衒(てら=見せびらかす)い、以って先賢の上を為(な)すにあらざる也。観る者、其(それ)諸(これ)を察せよ[11]

寛政戊午(=10年(1798))九月戊子、菅野元健、誌(しる)す。

 

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[1] 東北大学蔵。岡本則録写。「原本」とあるもの。

[2] 白文。

[3] 焉を黙字として扱うこともできるし、「おわんぬ」と読むこともできる。

[4] 已日(いじつ)は、後日。

[5] 不事事(ことをこととせず)は、事を一所懸命にやらない。『韓非子』内儲説上。

[6] どうして古人はこの法を思いつかなかったのか。この蓋は「なんぞ」と読む。反語表現。

[7] 菅野元健の師は、藤田貞資。

[8] 久留嶋義太のこと。

[9] 継絶(けいぜつ)は、絶えた世を継ぐこと。班固の両都賦序に「興廃継絶」の句あり。

[10] 衆位は、皆様、各自、が本来の意味。

[11] 観者其察諸は、このような序文の最後に記す決まり文句。