◎秋田義一・大全塵劫記序[]

 

【原文】

大全塵劫記序

法出於古而密於今者莫筭術若也既已密矣故莫學之亦自不易於是乎有塵劫記出焉簡易節略皆便之而刻有數本惟大全塵劫記焉約而備今又梓而行之其有益於後學也多矣故序

天保三年壬辰八月

官銀行首太義秋田宣題於朱提館中

 

【訓読】

大全塵劫記序

法の古より出(いで)て今に密なるものは、算術に若(し)くは莫(な)し。既已(すでに=畳語)して密なるが故にこれを学ぶこと莫(な)ければ亦、これに於いて、自(おの)ずから易(やす)からざらんや。塵劫記あり、焉(ここ)に簡易節略(=節約)を出し、人みなこれを便(たより)とす。而して刻(こく=出版)数本あり。惟(ただ)大全塵劫記のみ約(=簡約)して備う。今また梓(し=出版)してこれを行なう。其(それ)後学に有益なること多し。故に序す。

天保三年(1832)壬辰八月

官銀行(ぎんこう=両替所)首、太義秋田(=秋田義一)、朱提(しゅてい=中国の銀の産地)館中に宣題(=述べる)す。

 

◎大全塵劫記・宮本重一序[]

 

【原文】

周禮。保氏教國子六藝。而數居其一。蓋數術之通上下渉古今。而有益也多矣。我邦自吉田氏塵劫記出。而官府之用。童蒙之需。莫不取資于斯。可謂其功大也。〔【A】小槫益甫【B】山本益甫【C】小槫益甫〕。嘗好源變算法。受業于西磻先生。覃思研精。久而究其蘊奥矣。頃著筭書數篇以演源變之術。蓋慕吉田氏之功也。題曰大全塵劫記。其術簡約便易。宏淵不難。有志於筭學者。由是而往。則其庶幾乎。方將上梓。需余序。余與益甫交厚。是不可辭也。因序。〔【A】益甫〔割注:本姓高橋氏上毛高崎産小槫氏為養子〕名謙。稱安兵衛。號曰藤樹。東武人也。【B】益甫名賀前稱安之進號曰藤樹。東武人也。【C】益甫名賀前稱安之進號曰藤樹。東武人也。曰藤樹。東武人也。〕

天保三年壬辰秋八月筑後柳川宮本重一撰

 

【訓読】

周礼(しゅらい=書名)保氏、国子(こくし=公卿(こうけい)、大夫(たいふ)の子弟)を教えるに六芸(りくげい=礼楽射御書数)をもってす[]。而して数は其の一に居す。蓋(けだ)し数術の上下に通じ、古今に渉(わた)りて、有益なるや多し。我が邦、吉田氏より塵劫記出(い)でて、官府の用、童蒙の需(もとめ)、ここに資(=もと)を取らざるなし。謂いつべし、その功、大なりと。〔【A】小槫[]益甫【B】山本益甫【C】小槫益甫〕、嘗(かつ)て源変算法[]を好み、西磻先生に受業す。覃思(たんし=熟考、瞑想)研精(けんせい=研鑽)久くして、その蘊奥(うんのう=奥深いところ)を究む。頃(このごろ)算書数編を著わし、以て源変の術を演ず。蓋(けだ)し吉田氏の功を慕うなり。題して曰く、大全塵劫記と。その術、簡約(かんやく=簡単)便易(べんい=簡便)、宏淵(こうえん=広遠)不難。算学に志ある者、これによりて往(ゆ)けば、則ち其(それ)庶幾(ちか=近)からんか。方将(ほうしょう=まさに)上梓(じょうし=出版)し、序を余に需(もと)む。余と益甫、交わり厚し。是れ辞すべからざる也。りてす。〔【A】益甫〔割注:本姓高橋氏、上毛高崎の産、小槫氏、養子と為す〕、名は謙、安兵衛と称し、号して曰く藤樹と。東武(=関東)なり【B】益甫、名は賀前、安之進と称し、号して曰く藤樹と。東武人なり。【C】益甫賀前安之進と称し、号して藤樹東武人なり。曰く藤樹と。東武人也。〕

天保三年1832壬辰秋八月筑後柳川宮本重一撰(えら)ぶ。

 

◎田中明・再刻大全塵劫記序[]

 

【原文】

再刻大全塵劫記序

夫算術上則測天文下則量地理而中則用於人事 國家不可一日無者也故其術有精粗隠顕一旦不可以至其奥之妙焉古人曰算数有々用之用有無用之用有無用之無用不亦宜乎故長谷川西磻翁所閲大全塵劫記者所謂有用之用也故此書一書得算理者亦多矣自天保壬辰刻成至今嘉永甲寅二十余年書肆嚮之凡數萬部故文字往々磨滅書肆憂之欲再刻之請訂正於我長谷川磻渓先生先生閲而補之又附録社友解義若干條于巻末而命序於余々曰之寔 國家有用之書也書以應命

旹嘉永龍集甲寅秋九月

 越後檉園外史田中明撰

(印)(印)

 

【訓読】

再刻大全塵劫記序

夫(それ)算術は、上(かみ)は則、天文を測り、下(しも)は則、地理を量りて、中(なか)は則、人事(=人間社会の事柄)に用(もち)ゆ。〔闕字〕国家、一日として無くべからざるものなり。故にその術に精粗(精密と粗雑)隠顕(いんけん=隠れることと現れること)あり、一旦(いったん=わずかな間。一朝)以てその奥の妙に至るべからず(=できない)。古人曰く、算数に有用の用あり、無用の用あり、無用の無用あり、と。また宜(むべ=もっともな)ならずや。故に長谷川西磻(せいはん=長谷川寛の号)翁の閲するところ、大全塵劫記は、謂いつべし有用の用なりと。故にこの書、一書にして算理を得る者、また多し。天保壬辰(3年(1832))刻(=印刷)成りて[]より、今(こん=いまの)嘉永甲寅(7年(1854))に至るまで二十余年、書肆(しょし=本屋)これを嚮(きょう=饗)すること凡(およそ=総計)数万部、故に文字往々(おうおう=しばしば)磨滅す。書肆、これを憂い、これを再刻せんと欲(ほっ)し、我が長谷川磻渓(はんけい=長谷川弘の号)先生に訂正を請(こ)う。先生、閲してこれを補い、また社友の解義若干条を巻末に附録して、序を余に命ず。余曰く、これ寔(まことに)〔闕字〕国家有用の書なりと。書して以て応命(おうめい=命令に応じる。応令)す。

ときに嘉永龍集(りゅうしゅう、りょうしゅう)[]甲寅(7年(1854))秋九月

越後檉園(ていえん=田中明の号。檉は「かわやなぎ」)外史(がいし=雅号に添えることば)田中明、撰ならびに書

 

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[] 隷書の白文。秋田義一は算法新書にも隷書の序文を寄せている。

[] 句点つき漢文。【A】は東北大・岡本刊275、【B】は東北大・林0589、【C】は東北大・狩野7.19851

[] 『周礼』地官・保氏。

[] 東北大学所蔵の『大全塵劫記(再刻)』(岡本刊424)の岡本則録の書き込みには「コグレ」と振り仮名がある。東京練馬区に小槫村(こぐれむら)があった。明治大正期の地域改良家に小槫久衛(こぐれきゅうえ)という人がいる。『明治前数学史』第5巻には長谷川寛から弘への書状(日本学士院蔵の長谷川弘遺物書状写)に「コヒバ」の振り仮名があることを指摘している。

[] 不詳。

[] 行書・白文。

[] 『大全塵劫記』の秋田義一序と宮本重一序は天保3年の年紀をもつが、最古の刊記は天保5年のものしか見当たらない。

[] 龍は歳星(木星)のこと。龍集は歳次(さいじ、ほしのやどり)に同じ。龍集を「ほしのつどい」と読むこともある。和刻本『算法統宗』の湯浅得之跋にも龍集が用いられている。