◎続神壁算法

 

◎源誠美序[1]

【原文】

續神壁算灋序

寛政己酉之歳雄山藤田氏令其子嘉言輯録神壁算法予爲其序已行于世越十有八年歳在丙寅其續編告成復請序于余當此之時泰階平而玉燭調于上休徴若而康哉昌于下爲無爲事無事思克己履常足是以道蓺之人並進布算之士競出人人自謂握靈蛇之珠家家自謂抱荊山之玉薦術數于鬼神曜智巧于山川者日就月將星羅雲布實一大壮觀也哉夫奕秋之奕隷首之算窮微盡數非有差也然而心在笙鴻而奕敗算撓者心不専一遊情外務也今久霑太平之化走奢侈之風非有奕秋隷首之術而外務之情過之遠矣以犬羊之質服虎豹之文無衆星之明假日月之光碔砆亂玉魚目混珠雖欲無奕敗算撓豈可得乎若奉以爲金科玉條則難乎免什襲燕石之誹也必遇卞和氏而後天下知連城也矣韓子有言曰木在山馬在肆遇之而不顧者雖日累千萬人未爲不材與下乗也及至匠石過之而不睨伯樂遇之而不顧然後知其非棟梁之材超逸之足也此書所采輯者皆門弟子之算法而成於藤田氏之手則是生于匠石之園長于伯樂之厩者也於是而不得取法假有所布算者千萬術亦何足云今夫奕之爲數小數也不専心致志則不得也而矧於隷首之大數乎、學者絶、援弓繳之思汲汲然専心致志握籌布畫惟數是勤則雖不材與下乗果能此道矣庶幾棟梁之材超逸之足可致也
文化三年柔兆攝提格窒陬月元光日
上計官嶺南後學源誠美謹序

【訓読】

續神壁算灋序

寛政己酉の歳、雄山藤田氏、その子嘉言をして神壁算法を輯録せしむ。予それがために序す。すでに世に行なわれること十有八年を越え、歳(ほし)丙寅に在(やど)り(=文化3年(1806))、その続編、告成(こくせい=事の成功を上に告げる)し、復(また、ふたたび)序を余に請う。當(まさ)にこの時、泰階(たいかい=星の名。この星が平らかなら五穀豊穣、天下泰平という)平らかにして、玉燭(ぎょくしょく=万物の光り輝くこと)上に調(ととの)い、休徴(きゅうちょう=吉兆)若而(じゃくじ=このような)、康哉(こうさい=やすらかなるかな)下に昌(さかん=盛)、無爲(むい)をなし、無事を事とすべし。克己(こっき=自制)を思い、常足(じょうそく=常に満足)を履(は)き、是に道蓺(どうげい=道徳と学芸)の人をもって布算の士と並進し、競出す。人人、自ら謂う、靈蛇の珠(れいだのしゅ)を握ると。家家、自ら謂う、荊山の玉(けいざんのぎょく=賢良の人)を抱くと。鬼神に術數を薦め、智巧を山川に曜(かがや)く者は、日就月將(=日々月々に進歩すること)星羅(せいら=星のように連なる)雲布(うんぷ=雲のように連なる)、じつに一大壮觀かな。奕秋(えきしゅう=古の囲碁の名人)の奕(えき=囲碁)、隷首(れいしゅ)の算、微を窮め、数を尽くし、差(たが)いあること非ざるなり。然り而して、心は笙鴻(しょうこう。笙鶴は仙界の鶴)にありて、奕敗(えきはい=囲碁にまける)算撓(さんどう=算を曲げるの意か?)は、心、専一せず、外務(がいむ=つまらないこと)に遊情(=こころを遊ばせる)なり[2]。今、久しく太平の化(=働き)に霑(うるお)い、奢侈の風に走るは、奕秋、隷首の術に有ること非ずして、外務(=つまらないこと)の情(=心)、これを過ぎて遠し。犬羊(=才能のない生まれつき)の質をもって虎豹の文に服す[3]。衆星(=多くの星)の明なくんば日月の光をかり、碔砆(ぶふ=玉に似た石)乱玉、魚目混珠(ぎょもくこんじゅ=魚のめだまと玉がまじる。贋物と真物がまぎれる)、奕敗算撓なきことを欲すといえども、あに得べけんや。若(も)し金科玉條と以爲(おもいな)して奉ずれば則、難し。燕石(えんせき=燕山から出る玉に似て玉にあらざる石)を什襲(じゅうしゅう=大切に秘蔵)するの誹(そしり)を免れれば、必ず卞和(べんか)氏に遇いて後、天下、連城(れんじょう=連城玉。秦の昭王が十五城と交換しようと趙に請うた和氏の璧)と知るなり。韓子[4]に言ありて曰く、山に木あり、肆(みせ)に馬あり、これに遇いて顧りみざるもの、日、千万人(=千人、万人)を累(かさ)ぬといえども、いまだ下乗(げじょう=足ののろい馬)と不材(ふざい=役に立たない材木)となさず。匠石(しょうせき=古の石の名工)これを過ぎて睨(み)ず、伯楽(はくらく=周代によく馬を見分けた人)これに遇いて顧りみざるに至るに及んで、しかる後、その棟梁の材、超逸(=卓越)の足にあらざることを知るなり。この書、采輯するところは、皆、門弟子(もんていし)の算法にして藤田氏の手に成るものなれば則、是、匠石の園長に、伯楽の厩者に生ずものなり。ここにおいて取法(しゅほう=模範)をえず、假(たとい)布算するところあるもの、千萬の術、また何ぞ足らんと云わん。今、かの奕(=奕秋)の数をなすは小数なり。心を志にいたすこと専らならずせば則、得ざるなり。矧(いわんや)隷首の大数においておや。学ぶ者、絶、弓繳(きゅうしゃく=矢に糸をつけて鳥を射る)の思いを援(ひ=引)き、汲汲然(=はげむさま)として心を専らにし、志をいたし、籌(ちゅう=算木)を握り、画を布し、ただ数にこれ勤めれば則、不材(=役に立たない材木)と下乗(=足ののろい馬)といえども、果(は)たして此の道を能(よ)くすべし。庶幾(こいねがわ)くば棟梁の材、超逸の足に致るべきことを。
文化三年(1806)、柔兆攝提格(=丙寅)窒陬月(=正月)元光日
上計官嶺南後學、源誠美、謹んで序す。

 

◎藤田嘉言序

【原文】

續神壁算法序

向所著神壁算法廣集海内之術多載衆人之題於是乎有志於我算數之道者脱行々之疲免望々之勞不度風水波濤之険瘴癘崔嵬之難而邦國之算題靈鎮之數術皆可包而観也唯恨有書成之後捧掲者不備焉今與同志之輩又集録之詳加校正以継前志名曰續神壁算法大哉造化之功至哉長靈之才算法無極幽思日新智巧之不竭奇題月進何可以此書而畫之邪雖然當時我輩之所掲示者此集以盡之而無遺漏也學者必勿起行々之思發望々之慮焉
文化丙寅正月既望
藤田嘉言謹序

【訓読】

續神壁算法序

向(さき)に著すところの神壁算法は、広く海内(かいだい=国内)の術を集め、多く衆人の題を載す。ここにおいて我が算数の道に志ある者、行々(こうこう=行ったり戻ったり)の疲を脱(まぬが)れ、望々(ぼうぼう=失意のさま)の労を免れ、風水波涛の険、瘴癘(しょうれい=熱病)崔嵬(さいかい=山の頂上)の難を度(わた=渡)らず。而して邦国の算題、霊鎮の数術、皆、包みて観るべし。唯(ただ)恨(うら)むらくは、書なるの後、捧掲あるものは、備えず。今、同志の輩と又、これを集録し、詳しく校正を加え、もって前志を継ぎ、名づけて曰く続神壁算法と。大なるかな造化(=天地自然、神)の功、至れるかな長霊(=霊長)の才。算法の幽思(ゆうし=深い思い)極まりなく、日に新たに智巧の、奇題の竭(つ)きず、月進してなんぞこの書をもってしてこれを画すべけんや。しかりといえども、当時(=現在)我が輩の掲示するところは、この集をもってこれを尽くして遺漏なきなり。学者、必ず行々(こうこう=行ったり戻ったり)の思いを起こし、望々(ぼうぼう=失意のさま)の慮(おも)いを発すること勿(な)し。
文化丙寅(3年(1806))正月既望(きぼう=十六日)、藤田嘉言、謹しんで序す。

 

◎早川高寧跋[5]

【原文】

君子曰苟有明信澗谿沼沚之毛蘋蘩蘊藻之菜筐筥錡釜之器潢汗行潦之水可薦於鬼神可羞於王公而況算法巻正負之實極毫釐之微指之以明行之以信雖薦於鬼神羞於王公亦何不可之有為指一不明行一不信則欲求其真而終身不明也然則比諸陂毛菜器水亦所不恥也
文化三年正月早川高寧識

【訓読】

君子[6]曰く、苟(いやしく)も明信(めいしん=明らかな信用)あらば、澗谿(かんけい=谷川)沼沚(しょうし=沼と渚。左伝は沼畤)の毛(もう=水草)、蘋蘩(ひんはん=浮草と白よもぎ)蘊藻(おんそう=むらがる藻)の菜(さい=野草)、筐筥(きょうきょ=ざる)錡釜(きふ=釜)の器、潢汗(こうお=汚水)行潦(こうりょう=雨あがり)の水も、鬼神(=神)に薦(すす)むべく、王公に羞(すす)むべし。而(しか)るを況(いわん)や算法、正負の實を巻き、毫釐の微を極め、これを指すに明をもってし、これを行なうに信をもってせんや。鬼神に薦(すす)め、王公に羞(すす)むと雖も、また何ぞこれを有為(ゆうい=意味がある)とすべからずや。明ならざる一を指し、信ならざる一を行なえば、則、その真を求めんと欲して、終身、不明なり。然れば則、諸(もろもろ)の陂(は=よこしま)と比べ、毛菜器水(=前出の水草・野草・器具・汚水など)もまた恥じざるところなり。
文化三年(1806)正月、早川高寧、識(しる)す。

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[1] 白文。

[2] 『新論』専学に「奕敗算撓者、是心不専一、游情外務也」。

[3] 魏文帝の與呉質書に「以犬羊之質、服虎豹之文」。

[4] 韓愈、為人求薦書。韓昌黎文集巻十八。「某(それがし=私)聞。木在山、馬在肆、遇之而不顧者、雖日累千萬人、未爲不材與下乗也。及至匠石過之而不睨、伯樂遇之而不顧、然後知其非棟梁之材超逸之足也」。

[5] 白文。行書に近い草体。

[6] 『春秋左氏伝』隠公三年。「苟有明信、澗谿沼畤之毛、蘋蘩蘊藻之菜、筐筥錡釜之器、潢汗行潦之水、可薦於鬼神、可羞於王公。而況君子結二国之信、行之以礼、又焉用質」。