◎算法助術

 

◎北村政房序[1]

【原文】

算法助術序

凡致精于點竄之方。其要在省觧義之煩重。省煩重之方。莫如暗記常用輕易之矩合數數也。夫輕易矩合者。難深寄消之理原。難深寄消者。軽易矩合之積集也。故暗記少運策自不能免煩重焉。然而暗記者性也。非術也其奈之何哉。山本藤樹君。有見于此遂指南乎積淺近釋幽微之術路。以代于學者省煩之暗記焉。書成。名曰筭法助術。噫觀者竭力于茲。此書亦為龍猛之七芥子爾。
天保辛丑八月 磻溪長谷川先生門人 北村榮吉政房誌

 

【訓読】

およそ精を点竄にいたすの方(=法)、その要、解義の煩重をはぶくにあり。煩重をはぶくの方、常用軽易の矩合、数数(かずかず)を暗記するに如(し)くはなし。かの軽易矩合は難深寄消の理原(=原理)、難深寄消は軽易矩合の積集なり。故に暗記、少なければ、運策(=算木による計算)自(おのず)から煩重をまぬがるることあたわず。然(しか)り而して暗記は性なり、術にあらざるなり。それ之(これ)を奈何(いかん)せんや。山本藤樹君、此に見ることありて、ついに浅近(せんきん=わかりやすく身近なこと)を積みてより[2]幽微(ゆうび=奥深いこと)を釈(と)くの術路を指南し、以て学者に煩をはぶくの暗記に代(か)う。書成る。名(なづけ)て算法助術と曰(い)う。噫(ああ)観者の力を茲(ここ)に竭(つく)さば、この書もまた龍猛(りゅうみょう)の七芥子[3]たらんのみ。
天保辛丑(12(1841))八月 磻渓[4]長谷川先生門人 北村栄吉政房、誌(し)す。

 

◎武田保勝序[5]

【原文】

算法助術序

ものゝ数よむ事は うなゐ子のおよびをりて年よむより 月よみ日よみ何くれの事につけて朝よひに人の物するわざなから 御空行 月日のへだち 山川のたかさ深さをよみはかるなとは そもそもかたき事になんすめる 今や玉蔵の遠のみかどにさふらふ山本賀前[6]ぬしは此道のおくを極めて えうしらぬさかひにいたる人となん聞ゆるを かのかたきことにすなるも たはやすくよみはからるゝてだてにとて いはゆる容術の適等といふ物 もゝちあまりをえらびあつめ ひと巻のふみとして これを算法助術となづく そのいさをのほどおもふにも 猶あまり有べし かくて此ふみ見ん人に 大かたのいたづらことに思ひをこらし 人にほこりかなる[7]たぐひと なおもひそ[8]とて これがはし書するにぞ有ける
天保十二年葉月のすゑつかた
みちのく仙臺にすむ
武田司馬源保勝

【通釈】

算法助術序。

物をかぞえることは、おさない子供が指をおって年齢をかぞえることにはじまり、月や太陽の暦計算など、なにかと、朝から晩まで、人間がおこなうことであるが、天気のことや月日のへだたり、山川の高さ、深さを計測するなどは、もともとむずかしいことである。いま、朝廷につとめる山本賀前殿は、この道の奥ふかいところをきわめて、前人未踏の境地をひらいた人と聞いているが、そのむずかしいといわれることを、たやすく理解する手段として、いわゆる容術の公式というもの百余りを選んで、一巻の書物にまとめ、これを『算法助術』となづけた。その功績を思うと、絶賛してなおあまりあるであろう。それで、この書物を読む人に、これまでと同じように無用なことを考えて、世間の人々に自慢することが目的とは、けっして思ってほしくないので、この序文を書いた。
天保12年(1841)8月末日。みちのく仙台に住む、武田司馬源保勝。

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[1] 訓点・句点(小圏)・送り仮名つき。

[2] 乎は、ここでは疑問ではなく比較をあらわす。より、と訓読。

[3] インド大乗仏教の興隆者である龍猛(ナーガルジュナ)が、誰も開けられなかった鉄塔の扉に七粒の白芥子を打ちつけて開けた故事。空海の『付法伝』にみえる。

[4] 磻渓は長谷川弘の号。

[5] 漢字かな交じり文。草体。

[6] 『算法助術』の編者、山本安之進賀前。

[7] 「ほこりかなる」は、得意げな。

[8] 「な-そ」で係り結び。禁止。「なおもひそ」は、決して思わないように、の意。