◎算法求積通考[1]

 

◎巻頭

【原文】

天不能盖 地不能載[2]

【訓読】

天、盖(おお)うことあたわざれば、地、載(の)すことあたわず。

 

◎長谷川弘序

【原文】

算法求積通考序

夫理者。天地間自然所有。而無象亦無數。凡有物必有象。有象則数理自然備矣。故能究自然之理。而用之。則成千變萬化無究之活用。是非別有一種之理。惟随其所用有異耳。由是觀之。物雖萬殊。理則一途。凡無有一理不實者。然其悟入之。非凡智所及。故自古至今。通一理者或鮮矣。盖理囙象顯。術因理生。其顯數者術也。所謂数術者。究理之学。而人能學而究之。則目前明白而通萬理之要術也。抑数之為術。假設象以為題。々定而術自備。其為觧。亦無少加私意。故應題意而究其理。是筭法之本位也。術家能知諸術一理。則自加減乗除。至方圓求積之薀奥。亦何患乎不得其術也。其得彼術而不得此術者。未知其理也。數有多少二極。而多極與少極反對。故以多極得少極。以少極得多極。又囙多少二極。各得空數。是其理歸一故也。学者不能究此理。則不能知其術之薀奥矣。吾
關夫子。以天縱之才。究天地自然之實理。發明諸術。以傳後世。今日筭法之密且精。盖 夫子之有造也。宜乎學数術者。至今無不尸祝尊崇。以仰餘教者矣。先考西磻先生能得夫子之遺意。而發明極形術。以弘于世。其功亦大。先考毎謂曰。 夫子者算聖也。予雖發明極形術。其理胚胎于 夫子交商法。但以 夫子不著書傳其術。後人或謂別有所發明者。猶未盡於 夫子也。若使 夫子而在今世。今以難題者。一目必知其起源。亦更有許多發明矣。今内田久命著書若干巻。予閲之。其盡方圓究理之薀奥。以示理一。又其觧明而術甚簡捷。是皆原 夫子之餘意。而奉先考之遺教而已。
弘化元年冬 仙臺長谷川善左衛門弘撰

【訓読】

算法求積通考に序す。

それ理は、天地の間、自然にあるところにして、象なく、また数なし。およそ物あれば必ず象あり。象あればすなわち数理、自然にそなう。ゆえによく自然の理をきわめて、これを用いれば、すなわち千変万化、無究の活用をなす。これ、別に一種の理あるにあらず。ただ、その用いるところに随い、異あるのみ。これによりてこれを観れば、物、萬殊(ばんしゅ)といえども、理すなわち一途(いっと)。およそ一理を貫かざるもののあることなし。しかればそれ、これを悟入(ごにゅう)するは、凡智(ぼんち)の及ぶところにあらず。ゆえに古(いにしえ)より今(いま)に至るまで、一理に通ずる者、あるいは鮮(すくな)し。けだし、理は象によりてあらわれ、術は理によりて生ず。それ、数をあらわすものは術なり。いわゆる数術は究理の学にして、人よく学んでこれを究めれば、すなわち目前明白にして萬理に通ずるの要術なり。そもそも数の術たるや、たとい象をもうけ、もって題をなすとも、題、定まりて、術、おのずからそなう。それ、解をなす。また少しも私意を加うることなし。ゆえに題意に応じてその理を究む。これ算法の本意なり。術家(じゅつか)よく諸術の一理たるを知れば、すなわち加減乗除より方円求積の薀奥(うんのう)に至るまで、またなんぞ患(うれ)うや、その術をえざるを。それ、かの術をえて、この術をえざるは、いまだ、その理を知らざるなり。数に多少の二極あり。しこうして多極(=無限大)は少極(=無限小)と反対す。ゆえに多極をもって少極をえ、少極をもって多極をえる。また多少二極によりて、おのおの空数(=ゼロ)をえる。これその理、一に帰すゆえなり。学者、この理を究めることあたわざれば、すなわちその術の薀奥(うんのう)を知ることあたわず。わが関夫子(ふうし)、天縦(てんしょう=うまれつき)の才をもって、天地自然の実理を究め、諸術を発明し、もって後世に伝う。今日の算法の密かつ精、けだし夫子の有造(ゆうぞう)なり。宜(むべ)なるかな、数術を学ぶ者、今に至りて尸祝(ししゅく=故人をあがめること)尊崇(そんすう)し、もって餘教(よきょう=故人の教え)を仰(あお)がざる者のなきは。先考(なきちち)西磻(せいはん)先生、よく夫子の遺意をえて、極形術を発明し、もって世にひろむ。その功、また大なり。先考(なきちち)、つねに謂(い)いていわく、夫子は算聖なり。予、極形術を発明すといえども、その理は夫子の交商術に胚胎(はいたい)す。ただ夫子、書を著してその術を伝えざるをもって、後人あるいは別に発明するところあるというは、なおいまだ夫子よりつくさざるなり。もし夫子をして今世にあらしめば、今もって難題たるものは、一目(いちもく)必ずその起源を知り、また更に許多(あまた)発明あるべし。いま内田久命、書、若干の巻を著す。予、これを閲(み)れば、それ方円究理の薀奥(うんのう)をことごとくし、もって理、一なるを示す。またその解、明らかにして、術はなはだ簡捷(かんしょう)。これ皆、夫子の餘意(よい=言外にふくむ意味)にもとづき、而して先考(なきちち)の遺教を奉じるのみ。
弘化元年(1844)の冬、仙台、長谷川善左衛門弘(ひろむ)、撰(えら)ぶ。

 

◎津田宜義跋

【原文】

求積通考

西磻先生曰。方圓究理之術也。人若學一題。而能究其理。則雖百千題。亦自知其起源。苟學一題。而不悟其理者。學百千題。亦不能知。何則其理一。而起源相等故也。求積一書。盖其術也。能究其理。則不學而得其術。仍不公其書于世。暫停上梓。以存引而不發之教焉。如
先生者。當悟入焉。衆人何能然乎。故不悟其理。而苦方圓究理之起源書。不為不多。今社友輯録此篇。以示學者。名曰算法求積通考。其於方圓究理之術。可謂究其薀奥矣。然世有未得通暁者。若従此悟入。則思過半矣。
天保甲辰秋八月 鳳堂津田宜義識

【訓読】

求積通考

西磻(せいはん)先生いわく、方円究理の術たるや、人、もし一題を学んで、よくその理をきわめれば、すなわち百千題といえども、またおのずからその起源を知る。いやしくも一題を学んで、その理を悟らざる者は、百千題を学んで、また知ることあたわず。なんとなれば、その理、一にして、起源、あい等しきゆえなればなり。求積の一書、けだしその術なり。よくその理を究めれば、すなわち学ばずして、その術を得る。よりてその書を世に公(おおやけ)にせず、暫(しばら)く上梓を停(とど)む。もって、引きて発せず[3]に存するの教えなり。先生のごときは、まさに悟入すべし。衆人なんぞよく然(しか)らん。ゆえにその理を悟らず、方円究理の起源に書に苦しむは、多からずとなさず[4]。いま社友、この篇を輯録し、もって学者に示す。名づけていわく算法求積通考と。それ、方円究理の術において、謂(い)いつべし、その蘊奥(うんのう)を究むと。しかれば世、あるいはいまだ通暁をえざるものあらば、もしこれによりて悟入せば、すなわち思い半ばを過(す)ぐ[5]
天保甲辰(天保15(1844))の秋八月、津田宜義、識(しる)す。

 

◎佐藤解記跋

【原文】

管子曰。思之思之不得。鬼神教之。非鬼神之力也。其精氣之極也。此言有甚似数理秘訣也。若夫圓理。數學之薀奥筭家之所難。所謂思之思之不得之術也。適有克得之者説其理也。下學不辯。反迷術之當否。甚者乃言。不可果知也。竟至癈其学焉。難哉研彼精氣之極。以知其術之妙。新刻求積通考。岳湖内田氏之撰也。巻中総審乎圓理之原由。設法之竒。術路之簡。實踰于鬼神之教。矣。内田氏有此擧也。盖在于欲令思之不得之徒。克研其精氣之極也已。余謂。爰編若成于齊桓之時。管仲必言岳湖子先能得吾心術乎。
天保十五年甲辰秋 越後小千谷 佐藤觧記識

【訓読】

管子[6]いわく、これを思い、これを思うてえず、鬼神これを教ゆ。鬼神の力にあらざるなり。その精気の極みなり。この言、はなはだ数理の秘訣に似たるあり。かの円理のごときは、数学の蘊奥(うんのう)にして、算家の難(かた)きところ。いわゆるこれを思いこれを思い不得の術なり。適(たまたま)よくこれを得る者あれば、その理を説(と)くなり。下学(かがく=高等な学問をしていない人)は弁ぜず(=言うまでもない)。かえって術の当否に迷う。はなはだしきものは、すなわち言う、果たして知るべからずと。ついにその学を廃するに至る。難(かた)きかな、かの精気の極みを研(みが)き、もってその術の妙を知るは。新刻求積通考は、岳湖内田氏の撰なり。巻中すべて円理の原由をつまびらかにし、法を設けることの奇、術路の簡、じつに鬼神の教えを踰(こ)ゆ。内田氏のこの挙あるや、なんぞこれを思い得ざるの徒をして、よくその精気の極みを研(みが)きしめんと欲(ほっ)するに在(あ)らざるや。余、謂(おもえ)らく、ここに編、もし斉桓(せいかん=斉の国の桓公)の時になれば、管仲(かんちゅう=管子)必ず、岳湖子、まずよくわが心術を得たりと言わん。
天保十五年(1844)甲辰の秋、越後小千谷、佐藤解記、識(しる)す。

 

◎山口和序[7]

 

【原文】

語曰。譬諸草木區以別。是師待弟子之方古今一轍。先進問之則應以薀奥妙旨。後進問之則應以普通庸術。欲試其學所至亦然矣。而至其妙奥。則自非明敏達識。不能暁之。況浅學何得知其骨髄乎。吾師
西磻翁以數學鳴于世。理論明晰。古今盖一人矣。愚浅識何得窺妙旨。但其所論精微意竊感歎耳。若識者問之必發妙焉。愚嘗親炙 先生者有年矣。自文化丙子歳游歴于四方春秋六年。普遇海内之算士而問答未見如 先生。然則 先生者天下之達筭也。愚得斯明師而學之。雖其術無遺。獨奈性之不敏。未能見 先生之妙奥而 先生逝矣。於是恐此道従廢焉。今乃磻渓子出。而善修 先人之緒。益盛家學。觧術詳悉。世言 先生復起。不亦喜乎。茲學友内田氏編輯算書五巻以乞訂於磻渓子。開巻則精妙顯然。嗚呼 先師之學。愈盛益密。愚楽而序。
天保十五年甲辰晩秋 越後水原 坎山山口和誌

 

【訓読】

語に曰く、諸(これ)を草木の区してもって別あるに譬う[8]。これ師、弟子を待つ(=持つ)の方(=方法)、古今一轍(いってつ=一筋)。先進、これを問えば、すなわち応ずること薀奥妙旨をもってす。後進これを問えば、すなわち応ずること普通庸術(=凡庸の術)をもってす。その学の至るところを試さんと欲するも、またしかり。而してその妙奥に至れば、すなわち明敏達識に非ざるより、これを暁(さと)ることあたわず。いわんや浅学、なんぞその骨髄を知り得んや。わが師、西磻翁[9]、数学をもって世に鳴り、理論明晰、古今の蓋(それ)一人なり。愚の浅識、なんぞ妙旨をうかがい得ん。ただその論ずるところの精微、意、ひそかに感嘆するのみ。もし識者、これを問えば、必ず妙を発す。愚、かつて先生に親炙(しんしゃ)するに年あり。文化丙子(文化13(1816))より四方に遊歴し、春秋六年、あまねく海内(かいだい)の算士に遇(あ)い、而して問答して未だ先生の如きを見ず。しかればすなわち先生は天下の達算なり。愚、かく明師を得て、これを学ぶ。その術の遺(すつる、わする、のこす)なしといえども、ひとり性の不敏をいかんせん。未だ先生の妙奥を見ることあたわずして、先生、逝く。ここにおいてこの道の従廃するを恐る。いま、すなわち磻渓子[10]、出ず。而してよく先人の緒(=仕事、系統)を修め、ますます家学を盛んにし、解術、詳悉(しょうしつ=詳細)。世に言う、先生、ふたたび起こると。また喜ばしからずや。ここに学友、内田氏、算書五巻を編輯し、もって訂を磻渓子にこう。巻を開けば、すなわち精妙、顕然たり。嗚呼、先師の学、いよいよ盛んにして、ますます密。愚、楽しんで序す。
天保十五年(1844)甲辰晩秋、越後水原、坎山(かんさん)山口和、誌す。

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[1] 紀元二千五百三十四年(1874)第一月・東京書林版本(後刷り本)。

[2] 出典不詳。管子・侈靡(しび)第三十五に「天之所覆、地之所載、斯民之良(あるいは養)也(天の覆うところ、地の載すところ、これ民のやしないなり)」とある。

[3] 『孟子』盡心上。「君子引而不発、躍如也。中道而立。能者従之」。「引きて発せず」は、関孝和の発微算法序に見える。

[4] 『孟子』梁恵王上。「万取千焉、千取百焉、不為不多矣(万に千を取り、千に百を取るは、多からずとなさず)」。不為不多は二重否定で、多くないとは言えない、多い、と訳す。

[5] 『易経』繋辞伝下。おもい考えてさとるところのすこぶる多いこと。大半以上を知る。

[6] 『管子』心術下第三十七および内業第四十九の二箇所にある。

[7] 日本学士院所蔵。

[8] 『論語』子張第十九・十二「君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉。譬諸草木區以別矣」。君子の道はどれを先に立てて伝えるとか、どれを後にして怠るというものではない。ちょうど草木も、種類によって育て方が違うようなものだ。

[9] 西磻は長谷川寛の号。

[10] 磻渓は長谷川弘の号。