◎明治塵劫記大全[1]

 

◎福田理軒序[2]

【原文】

明治小學塵劫記序

童蒙ノ知識ヲ振興シ開明ノ進歩ヲ誘導スル數學ニ如クハナシ故ニ現今小學ニ在テモ其科目ヲ設ケ皇洋ヲ論セズ其技ヲ教諭ス書肆萬青堂來テ珠算教導ノ書ヲ乞フ因テ生平注意スル處ノ幼學専務ノ筭数一二ヲ輯録シ發蒙進歩ノ應用トシ尚ヲ古人吉田光由著ス所ノ書名ニ原因シ題シテ明治小學塵劫記ト號シ以テ其需メニ應ス
明治十一年一月東京順天求合社ニ於イテ理軒老人誌ス

【読み下し】

明治小學塵劫記序

童蒙の知識を振興し、開明の進歩を誘導する、数学に如(し)くはなし(=数学より良いものはない)。故に現今(げんこん=現在)、小学に在(あり、あっ)ても其科目を設け、皇洋(=わが国と外国)を論ぜず、その技を教諭(きょうゆ=おしえさとす)す。書肆(しょし=本屋)萬青堂、來(きた)りて、珠算教導の書を乞(こ)う。因(より)て生平(せいへい=平生、ふだん)注意する處(ところ=処)の幼学専務(=専門)の算数、一二を輯録(=集録)し、発蒙(はつもう=啓発)進歩の応用(=実際に利用すること)とし、尚(な)お、古人、吉田光由、著(あらわ)す所の書名に原因(げんいん=もとづく)し、題して明治小学塵劫記と号し、もって其の需(もと)め(=萬青堂の要求)に応ず。
明治十一年(1878)一月、東京順天求合社に於(お)いて、理軒老人[3]誌(し、しる)す。

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[1] 大阪府立中之島図書館蔵本。福田理軒著、花井静校。

[2] 活字のような楷書体の漢字カタカナ交じり文。句読点はない。書家は東苑主人。

[3] 福田理軒は、この明治十一年、64歳であった。亡くなったのは明治二十二年、75歳で。