◎算法天元指南

 

◎佐藤茂春序[1]

【原文】

算法天元指南序

六藝トハ何ゾ所謂禮樂射御書數也數ハ其一ニシテ百家一日モ無ンバ有ベラカズ凡數ニ九アリ曰方田粟布差分少廣商功均輸盈朒方程鉤股是ナリ葢數ノ千變萬化シテ盡コト能ズトイヘドモ此九章ヲ不[返点]出其難算ヲ解ノ術ニ至テハ天元ヲ越コト無シ予澤口一之ニ隨テ學[返点]之其理ヲ得ルコト有ニ似タリ夫此道ヲ學者天元ヲ明メザルトキハ難算ヲ解コト能ハズ寔ニ天元ハ難算ヲ解ノ階梯ナリ予竊ニ惟ルニ本朝數學ノ所[返点]盛者寛永年中ニ吉田光由著[二点]塵劫記三巻[一点]閲[返点]之多ハ算法統宗ニ本ヅク是ヨリ先算書纔ニ二三家ニシテ而モ不[返点]及[二点]塵劫記[一点]是ヨリ後算家亦書ヲ著コト五六家ニシテ書ゴトニ好問ヲ出事十箇或ハ二十箇童介闕疑ノ两書ニ至テ各一百好ヲ載ル答[返点]之根源記有テ亦巻末ニ一百五十好ヲ載ル世ノ算士閲[返点]之其理幽遠ニシテ苦[二点]法術[一点]故ニ澤口先生立[二点]天元一[一点]施[返点]之一百五十好三十日ニ不[返点]満而術成因テ寛文庚戌夏六月鏤[二点]諸梓[一点]以著 [二点]古今算法記[一点]爾以来諸家ノ算士有[二点]天元[一点]難算ヲ解事ヲ知リ寔ニ本朝天元ノ元師タリ然ドモ幼學ノ者天元ノ術ニ入ガタキ事ヲ苦ム故ニ予門下ニ在テ不敏ナリトイヘドモ君仕ノ暇日為[二点]幼學[一点]天元ノ和解術ヲ著圖解ヲ載正負ヲ分自乗相乗相加相減同減異加異減同加ノ部ヲ分天元ノ術式ヲアラハシ名テ算法天元指南ト云希ハ此書ト先生所[返点]著ノ古今算法記ト交見トキハ豈幼學ニ少キ補ヒ無カランヤ于時
元禄十一戊寅春三月
攝州高槻住佐藤氏茂春撰之

【読み下し】

算法天元指南序

六藝(りくげい)とは何ぞ。所謂(いわゆる)禮樂射御書數なり。數は、其の一(ヒトツ[2])にして、百家、一日も無(なく)んば有(あ)るべらかず。凡(およ)そ數に九(ココノツ)あり。曰く、方田(ハウデン=ほうでん)・粟布(ゾクフ)・差分(サブン)・少廣(セウクハウ=しょうこう)・商功(シヤウコウ=しょうこう)・均輸(キンユ)・盈朒(エイヂク)・方程(ハウテイ=ほうてい)・鉤股(コウコ)、是なり。葢(けだ)し數の、千變萬化して、盡(つく)すこと能(あたわ)ずといえども、此の九章を出(い)でず。其の難算を解(と)くの術に至りては、天元を越(こ)ゆること無し。予、澤口一之(カツユキ=かずゆき)に隨(したがっ)て、之を學び、其の理を得ること有(あ)るに似たり。夫(そ)れ此の道を學ぶ者、天元を明(あきら)めざる(=はっきりと見ない。「明(あき)らむ」は、はっきりと見る)ときは、難算(なんざん)を解(と)くこと能(あた)わず。寔(まこと)に天元は難算を解(と)くの階梯(かいてい=ステップ)なり。予、竊(ひそ)かに惟(おもんみ)るに、本朝數學の盛んなる所は、寛永年中に吉田光由(ミツヨシ)塵劫記三巻を著す。之を閲(ケミスルニ)多(おおく)は算法統宗(トウソウ)に本(もと)づく。是より先(さき)、算書、纔(わず)かに二三家(カ)にして、而(しか)も塵劫記に及ず。是より後(のち)、算家、亦(また)書を著すこと五六家にして、書ごとに好問を出(いだ)す事、十箇(こ)或は二十箇、童介(どうかい=野沢定長の童介抄)闕疑(けつぎ=磯村吉徳の算法闕疑抄)の両書に至(イタツ=いたっ)て、各(おのおの)一百好(カウ=こう)[3]を載(の)する。之を答(コタユルニ)根源記(=佐藤正興の算法根源記)有りて、亦(また)巻末に一百五十好を載(の)する。世の算士之を閲(ケミスルニ)其の理、幽遠にして、法術を苦(くる)しむ。故に澤口先生、天元の[4]一を立て、之を施(ほど)こすに、一百五十好、三十日に満(み)たずして術成(な)る[5]。因(より)て寛文庚戌(カノエイヌ)(10(1670))夏六月、諸梓(しょし=多くのアズサの版木)に鏤(ちり)ばめて、以って古今算法記を著す。爾以来(シカレヨリコノカタ)諸家(ショカ)の算士、天元、有(あ)りて、難算を解く事を知り、寔(まこと)に本朝天元の元師(げんし)たり。然(しかれ)ども幼學の者、天元の術に入(いり)がたき事を苦(くるし)む。故に予、門下に在(アツ=あっ)て不敏(ふびん=不才)なりといえども、君仕(くんし=君公につかえる)の暇日(かじつ=ひまな日)幼學の為(ため)、天元の和解(わげ)術を著(アラハシ)、図解を載(ノセ)、正負を分(ワケ)、自乗(ジジヤウ=じじょう)相乗(アヒジヤウ=あいじょう)相加(アヒカ=あいか)相減(アヒゲン=あいげん)同減(ドウゲン)異加(イカ)異減(イゲン)同加(ドウカ)の部(ぶ)を分(ワケ)、天元の術式をあらわし、名(なづ)けて算法天元指南と云う。希(コイネガハク=こいねがわく)ば此の書と先生(=沢口一之のこと)著す所の古今算法記と交(マジヘ=まじえ)見(ミル)ときは、豈(あに)幼學に少(すこし)き補(おぎ)ない無からんや。于時(うじ)、
元禄十一戊寅(1698)春三月、攝州高槻住、佐藤氏茂春、之を撰(えら)ぶ。

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[1] 漢字カタカナ交じり文。ほぼ総カタカナ振り仮名。

[2] 以下、カタカナは原文の振り仮名。ここでは、とくに注目すべきものだけを表記した。

[3] 「このみ」とも読む。「問題」のこと。

[4] 原文、カタカナ「ノ」が小さく「天元」の語の送り仮名のように添えられている。「天元一」で「てんげんのいち」と読んでいる。

[5] (沢口先生は)150問を30日もしないうちに解答できた、という意味。